ツーリズム

家族や友人と鳥海山・飛島ジオパークへ。

蕎麦家たちかわ製麺所は鳥海山の麓、秋田県と山形県の境界に位置しており、周辺地域は鳥海山を中心とした国定公園となっています。徒歩圏内には、宿泊施設や温泉、キャンプ場や海水浴場があり地元住民や観光登山客が多く訪れています。
鳥海山は「水入らずの山」とも言われ伏流水が豊富に湧き出ており、ミネラルが豊富な水は商品化(ペットボトル製品)もされています。

鳥海山・飛島ジオパークとは?「日本海と大地がつくる水と命の循環」鳥海山・飛島エリアにはこの水と命の循環を間近に観察することのできる貴重な自然が広がっています。
鳥海山・飛島にふれながら、この地域の豊かな自然や文化を次の世代にバトンタッチするために鳥海山・飛島ジオパークは、多くの人々とのつながりを大切に、活動を続けます。
公式サイト:https://chokaitobishima.com/

たちかわイチオシ!国指定重要文化財「旧青山本邸」

青山留吉は、天保7年(1836)山形県庄内地方遊佐郷青塚村に生まれました。
安政6年(1859)の冬、青山留吉は24歳で北海道へ渡り小樽市祝津で雇漁夫として働きはじめ1年後には、小規模ながら同地に漁場を開くに至り、明治期の豊漁もあって次々漁場を拡大し、最終的に漁場15ケ統余、漁船130隻、使用人300人余を有する道内有数の漁業家に成長しました。

同じ時期に造られた庄内・旧青山本邸そして小樽・旧青山別邸。

青山留吉、政吉の親子二代に亘り財を成し、青山家最盛期の大正6年、二代目政吉が娘夫婦の民治・政恵とともに、小樽ニシン御殿の建築にとりかかりました。当時、政吉は、ニシン大尽(最高の贅の限りを尽くせる大金持ち)と呼ばれました。美意識が高く、自ら書や日本画を、娘政恵と共に描き、一流好みでした。
そんな政吉は、北海道に庄内・遊佐町の宮大工を呼びよせ、総勢五十数名の職人達が技を尽くしました。
建築資材のけやきは、庄内・酒田より北前船で運ばせ積雪の多い北海道では珍しい瓦葺き屋根、軒下はすべて手彫りによる彫刻が施されました。
床や柱は欅の春慶塗り、漆くい壁、神代杉の巾広天井、うぐいす張りの廊下、端から端まで継ぎ目のない一本物の長押し(なげし)。
紫檀、黒檀、タガヤサン、杉、つげを使った書院づくりの床の間。ふすまの引き手は七宝焼(当時は宝石と同価値)。
欄間は、竹、紫檀、黒檀に彫刻が施されてあり、建物の三方に庭があり松と石を組み合わせた趣深い枯山水の中庭など数え上げるときりがありません。
日本画の絵師たちが競って描いたふすま絵、書も見事なものです。

青山留吉の知恵

当時の漁は回遊するニシン次第であったため、うまく郡来をつかみ損ねた網元は経費すら捻出できず破産する者も少なくありませんでした。
そんな中、なぜ青山留吉だけが、ニシン漁でこれほど繁栄できたのでしょうか?
ニシン漁は1年間のうち4ヶ月に限られていましたが、青山留吉さんは、彼らの生活を支えるため、常雇いとしていました。
彼らのために農地を買い上げ、今でいう公共事業を考え、自給自足できるようにしました。
4ヶ月のニシン漁を終えると、残りの8ヶ月は農作業や植林、造園に携わっていました。
こうして経験のある漁夫を雇い続けることが出来た青山留吉は、他の網元に比べ、大量のニシンをとることが出来たのです。

団体旅行を検討されている皆様へ。

蕎麦家たちかわ製麺所では、団体ツアーの皆様への食事提供、仕出し弁当販売や、蕎麦打ち体験の対応もさせていただきます。

最大20名様まで対応可能、大型バス用駐車場をご用意しています。
スケジュールやご予算などお気軽にお問い合わせください。